修験道と女性|女人禁制の歴史と、いま修行できる場所

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大峰山の女人結界門

「修験道って、女人禁制なんですよね?」

滝行や修験道について調べていると、必ずこの話にぶつかります。実際、検索すると出てくるのは女人結界の門の写真や、「今も女性は入れません」という説明など。それを読んで、そっと閉じてしまった方もいるんじゃないかなと思います。

でも、調べていくうちに分かったことがあります。「修験道は女人禁制」というのは、半分は正しい。いまも禁制が残っているのは特定の山の特定の区間で、女性の山伏は各地にいて、女性だけの山伏修行なんかもある。そして女性のために開かれてきた行場が、昔からちゃんとあったんです。

この記事では、女人禁制がどう生まれたのかという歴史と、いま女性が修験の修行に触れられる場所を整理してみました。

※当記事の内容は、私が自分で調べた限りでの内容で複数説もあるかもしれないので、最終的にはご自身で正確な知識をあたってみてください。

この記事でわかること
  • いま女人禁制が残っているのはどこか
  • 女人禁制が生まれた背景と、語られてきた理由
  • 「女人大峯」「女人山上」と呼ばれてきた行場
  • いま女性が参加できる修験の修行
  • 滝行なら、女性を受け入れている場所がほとんどだということ
目次

「修験道は女人禁制」は、半分正しい

いまも禁制が残っているのは、大峰山の一部区間

先に結論を書きます。現在も通年で女人禁制を続けている修験の霊山は、事実上、奈良県の大峰山(山上ヶ岳)だけです。そして禁制なのは山全体ではなく、四つの女人結界に囲まれた区間にあたります。

結界の門があるのは清浄大橋・五番関・レンゲ辻・阿弥陀ヶ森の4か所。

大峯奥駈道の主稜線でいうと、五番関から阿弥陀ヶ森までのおよそ8km強にあたり、半日がかりで歩く範囲です。面でとらえると、大峰山寺を中心に東西10km・南北24kmほどとする整理もあります。ここが結界の内側で、山頂には蔵王権現を祀る大峰山寺があります。

逆にいえば、それ以外の修験の霊山の多くは、明治以降に禁制を解いています。出羽三山も、英彦山も、女性が修行できます。葛城のように、もともと女性の修行者を受け入れてきた地域もあります。同じ大峰山系でも、洞川(どろがわ)の龍泉寺などは女性に開かれています。

「修験道=女人禁制」というひとくくりの理解は、実態からはずれている、ということですね。

女性の山伏は、各地にいる

もうひとつ。現在は女性の山伏が各地にいます。女性も普通にいます。

たとえば京都の聖護院門跡の塔頭に所属し、普段はホテルに勤めながら修験講習会に通い、法螺貝を練習して月に数回は山に入る、という女性がいます。紀伊山地の山中で山岳修行を実践している熊野修験の女性山伏もいます。
※所属や勤め先は、日本遺産「葛城修験」の紹介記事(2022年時点)などによるもの。最新の状況は変わっている可能性があります。

山伏というと、法螺貝を吹きながら山を駆ける屈強な男性という像が浮かびます。実際、山伏修行はその荒々しさから「猛々しい男性の修行」というイメージを長く持たれてきました。だから「女性でも山伏になれるんですね」と驚かれるのだそうです。

驚かれるということは、まだ知られていない、珍しいということでもあります。この記事を書いている理由の半分は、そこにあります。確かに数でいうとそう多くはいないでしょう。

女人禁制はなぜ生まれたのか

では、歴史的になぜ女性は山に入れないとされてきたのか。これには複数の説明があり、どれかひとつが正解というものではありません。順に見ていきます。いくつかある説と思ってみてください。

役行者と、母・白専女の物語

大峰山に伝わるのは、修験道の開祖である役行者(えんのぎょうじゃ)と、その母の物語です。

息子が山にこもって荒行を続けていると聞けば、母親としては心配で仕方がない。白専女(しらとうめ)という名のその母は、大峰山にいちばん近い洞川まで会いに来ます。ところが蛇ノ谷で大蛇に行く手をふさがれ、どうしても谷を渡れなかったと、そう伝えられています。

この一件を知った役行者が出した答えが、母公堂でした。命を落としかねない山にこのまま追ってこられては危ない。それなら里に住まいを用意して、自分のほうから会いに行けばいい。洞川の人々に頼んで庵を建て、あわせて女人入山禁止の結界門を設けたとされます。天川村の資料はこの由来を、女性を差別するものではなく、役行者の母を思う孝行心の表れであると説明しています。

この物語、わたしはけっこう好きです。禁制というと排除の話に聞こえますが、この伝承のなかにあるのは「危ないから来ないでほしい」という気持ち、つまり優しさなんですよね。もちろん伝承が制度の全てを説明するわけではありませんが、地元でこう語り継がれてきたという事実は大事だと思います。おもしろいです。

仏教思想からの説明

一方で、思想史的な背景として指摘されているものもあります。ここは当サイトの見解ではなく、そう説明されてきたという事実の紹介として読んでください。

まず時間軸から。研究では、この観念が一気に生まれたわけではないと整理されています。仏教・神道・道教それぞれが持っていた別々のタブー観が中世に混ざり合い、山の寺院や修験道を舞台にして、鎌倉時代ごろに現在の女人結界のもとになる考え方が形をとったとみられています。修験道の出発点から禁制があったというより、後の時代に組み上げられたものだということですね。

その材料になったとされるのが、仏教のなかにあった女性差別的な教えです。女性は修行しても仏になれず、いったん男の身を得てから成仏するのだという説明(女人五障説・変成男子説)。女性の身は穢れが多く仏の器ではないとする説明。こうした教えが広まったことが、要因のひとつに挙げられています。

もう少し実務寄りの説もあります。古代の日本では僧侶に加持祈祷の法力が期待されていて、その力を保つには戒を徹底して守らなければならないと考えられていた、というものです。

「険しく危険な山だから」という説明

解説書や資料でくり返し挙げられる由来も、いくつかありました。

  • 危険だから──命に関わる荒行の場だから
  • 穢れの観念から──血が死を連想させるとされた
  • 修行の妨げになるから──男性の側の問題として

3つ目なんかは、女性の側に理由があるのではなく、男性の側の未熟さを理由にしている説明です。同じ「女人禁制」でも、どの説明を採るかで話がまったく変わってきますね。

明治5年の太政官布告と、その後

制度としての転機は明治にありました。明治5年(1872年)の太政官布告第98号により、神社仏閣の女人結界の場所は解かれることになります。

これを受けて、かつて女人禁制だった霊山の多くが女性に開かれました。いま登れる山のほとんどは、この時に開かれたものだと考えていいと思います。

そのなかで、大峰山(山上ヶ岳)は禁制を守り続けました。ここが現在まで続いている、ということになります。

大峰山(山上ヶ岳)はいまも女人禁制

解除の動きは、何度もあった

大峰山の女人禁制は、一度も揺らがなかったわけではありません。むしろ何度も議論の対象になってきました。

昭和11年(1936年)、吉野熊野国立公園の指定を受けた際には、信徒側の決議で解禁の動きが起こり、地元の人々が山頂の本堂などの一部を除いて禁制を解除するための援助を奈良県知事に陳情しています。しかし修験道三本山にあたる寺院側が伝統を主張して反対し、実現しませんでした。

さらに戦後にはGHQから女人禁制解除の指令もあり、これも拒否したとされます。(ただしこの点は研究者の指摘によるもの)

誰が決めているのか

ここも整理しておきたい点です。「お寺が決めているのだから、お寺に言えばいい」と思いがちですが、そういう単純な構造ではありません。

たしかに山の管理そのものは5つの護持院が担っています。洞川の龍泉寺、それに吉野の東南院・喜蔵院・桜本坊・竹林院の5か寺です。

ただ、禁制を続けるかどうかという判断には、寺院に加えて修験道の側と地元のコミュニティが関わっているとされます。日々この山を支え、禁制を実際に成り立たせているのは、信徒であり、行者であり、山講の人たちです。決定権が一か所にまとまっていないのが、この問題のややこしいところでもあるのかもしれません。

議論はいまも続いている

この話題について、当然さまざまな意見があり結論を出すには難しいことです。

信仰の伝統として守られるべきだという考えがあり、性別による区別は改められるべきだという考えもある。どちらの側にも、それぞれの理由と歴史があります。そしてこれは、実際に修行し、山を守り、そこで生きている人たちのあいだで話し合われるべきことだと思っています。

ひとまず筆者のわたしにできるのは、いま何がどうなっているのかを整理して書くことかなと思っています。

ちなみに、女人禁制は大峰山だけの話ではありません。四国の石鎚山では修験道の伝統を受け継いで、7月1日のお山開き大祭の初日のみ女人禁制の慣習が残っています。かつては祭礼期間全体が禁制でしたが、現在は初日だけで、翌日からは女性も登拝できます。禁制が少しずつ形を変えてきた例として、覚えておくといいかもしれません。

ここからは記事の後半になります。現代で女性が修行に触れられる場所をご紹介します。


女性のために開かれてきた「もうひとつの修験」

ここからも、この記事でいちばん伝えたい部分です。

女性が大峰山に登れないなら、女性のための山を用意する。修験の世界は、実はずっと前からそうしてきました。しかもそれが、いま滝行ができる場所として残っています。いくつか場所の例を挙げます。

女人大峯──犬鳴山七宝瀧寺(大阪)

大阪府泉佐野市の犬鳴山七宝瀧寺は、役行者が開いた修験道の根本道場です。ここは女人禁制の大峯山に対して「女人大峯(にょにんおおみね)」と呼ばれてきました。

制度としてそう決まっているというより、実際に女性の行者が多く修行してきたことによる呼び名です。お寺自身も公式サイトで、女性も参加できるため女人大峯と呼ばれており、多くの女性が修行している、と書いています。

なお「女人大峯」という呼び名は、大峰山系の稲村ヶ岳にも使われます。山上ヶ岳の南西にあり、女性の修行の山として開かれてきた山です。同じ呼び名が二つの別々の山を指している、ということですね。検索していて混乱している方もいるかもしれないので一応書いておきます。とにかく女性に開かれた修行の山は昔からあるということです。

詳しくは犬鳴山七宝瀧寺の滝行ガイドにまとめています。

女人山上──元山上千光寺(奈良)

奈良県平群町の千光寺は、役行者が大峰山を開く前に修行した地とされ「元山上(もとのさんじょう)」と呼ばれます。

そして前述の母・白専女が、この地で修行したと伝えられています。その縁で女性の入山が許され、吉野大峯に対して「女人山上」と呼ばれ、女人の修行道場として栄えました。

洞川では山に入れなかった母が、平群では修行していた。同じ人物をめぐって、拒む話と受け入れる話が両方残っているのが面白いところです。千光寺は現在も行場が残っていて、滝行体験ができます。奈良の滝行スポット3選で詳しく書いています。

龍泉寺は、大火からの復興を機に女性へ開かれた

洞川の龍泉寺は、大峰山の護持院のひとつであり、「大峯山中第一の水行場」を持つ寺です。修験者はここで身を清めてから山上へ向かいます。

この龍泉寺も、かつては女人禁制でした。転機になったのが昭和21年(1946年)の洞川大火です。境内の建物はほとんど焼失し、復興には長い時間がかかりました。そして昭和35年(1960年)に伽藍が復興したのを機に女人禁制が解かれ、同時に女性修験者のための滝行場「龍王の滝」が整備されました。

ここで混同しやすいのですが、龍泉寺は女性に開かれていますが、結界の内側にある大峯山寺は今も女人禁制です。同じ大峰山の名前がついていても、場所によって扱いが違います。

この龍王の滝は、予約制の体験プログラムという形ではありませんが、「瀧行をされる方は、寺務所へお申し出ください」と公式サイトに書かれています行ってみたい方は、事前に問い合わせておくと安心です。

いま女性が参加できる修験の修行

ここから先は、少し滝行から離れます。わたしが調べているのはあくまで滝行なので、山を歩く修行そのものの厳しさについては、公開されている情報と体験者の言葉を借りるしかありません。そのつもりで読んでいただけたらと思います。

出羽三山「神子修行」──女性だけの山伏修行

女性と修験道の話で、外せない場所です。

山形県の出羽三山神社は、平成5年(1993年)、御開山1400年を期して、はじめて女性にも山伏修行の道を開きました。それが「神子修行(みこしゅぎょう)」です。それまで同神社の山伏修行は男性にしか許されていませんでした。

開催は9月上旬。紅花染めの装束と白い宝冠を身につけた参加者が随神門前に集合し、法螺貝の合図とともに入山します。山頂付近の籠堂に寝泊まりしながら、三山の拝所を巡る山駆け、滝行、南蛮いぶしといった荒行に挑む。修行の内容は秘密とされています。

参加者は近年で70〜90人規模だそう。年齢は20代から70代までと幅広く、北海道から九州まで、さらに米国や欧州など海外からも人が集まります。コロナ禍で数年間中断し、2023年に再開しました。「女性だけの山伏修行」がこれだけの規模で続いているというのは、もっと知られていい事実だと思っています。

男女の別なく参加できる修行体験

出羽三山には、他にも選択肢があります。

荒澤寺の秋峰では、女性の入峰が可能とされています。また羽黒町観光協会が運営する山伏修行体験塾は、男女の差なく受講できます。白装束を着て神域を歩き、内容には滝うち(滝行)も含まれます。ただし時期によっては水が冷たすぎて実施しないこともあるようです。

ちなみに出羽三山神社の「秋の峰入り」は、参加資格が「山駈等の厳しい荒行に耐え得る男子」とされています。6泊7日で定員120名、応募者が多い年は抽選です。同じ出羽三山でも、修行の種類によって条件が違うということです。

なお羽黒山は歴史的にも、一部を除いて女性の参拝を許してきた山だとされています。修験道と女性の関係を考えるうえで、出羽三山はかなり重要な場所です。

葛城修験は、全ルートを女性も歩ける

もうひとつ挙げたいのが葛城修験(かつらぎしゅげん)です。役行者ゆかりの葛城の峰々をめぐる修行で、日本遺産にも認定されています。

聖護院が行う葛城修行について、参加している女性山伏がこう語っています。最初から最後まで女性も同じルートを一緒に歩けるのがうれしいと。大峰などでは女人禁制の場所があって一緒に修行できない寂しさがあるけれど、葛城は違う、と。

山の中だけでなく、友ヶ島や加太での海の修行もあるそうです。修験というと山のイメージですが、海もある。奥が深いですね。

また聖護院では、一般の人も参加できる修験講習会が開かれています。お経の読み方や仏教の勉強ができる場で、そこから山に入るようになった女性もいます。いきなり荒行ではなく、学ぶところから始められる入口があるということです。

ちょっとまとめてみます。

修行場所女性の参加滝行を含むか
神子修行出羽三山(山形)女性のみ・9月上旬含む
山伏修行体験塾出羽三山(山形)男女とも可含む(時期による)
荒澤寺の秋峰出羽三山(山形)入峰可
葛城修行葛城(大阪・奈良・和歌山)全ルート参加可
修験講習会聖護院(京都)一般参加可─(座学中心)
秋の峰入り出羽三山(山形)男性のみ・抽選

それぞれ実施時期や申し込み条件が決まっているので、参加を考えるなら各主催者の公式情報で最新の内容を確認してください。年によって日程も条件も変わります。

修験道そのものの成り立ちや山伏の装束については修験道とは?山伏と修行の世界にまとめています。背景を知ってから読むと、この一覧の意味も変わってくるはずです。

📚 もっと深く知る

『女人禁制』を読む

この記事で触れた論点を、そのまま一冊で追える本です。大峯山の現状、女人結界の成り立ち、仏教と女性、穢れの観念まで。「伝統か差別か」の二択に落とさずに考えたい人に。文化人類学者による、この分野の定番です。

修験に触れてみたいなら、滝行から

滝行なら、女性を受け入れている場所がほとんど

ここまで山の修行の話をしてきましたが、数日間の荒行はさすがにハードルが高いと感じた方も多いと思います。わたしもそうです。

そこで最後に、当サイトの本題である滝行の話を。滝行に関して言えば、女性を受け入れている場所がほとんどです。それどころか、女性が参加しやすいように配慮している場所がかなりあります。

  • 倶利加羅不動寺(名古屋)──滝場が他の参拝者から見られないよう配慮され、更衣室完備
  • 白瀧大明神(三重・鳥羽)──化粧室・ロッカー・ドライヤー完備。1名から
  • 青葉寺(奈良・宇陀)──一名ずつの入滝、最大4名の少人数制
  • 棚下不動滝(群馬)──女性ガイドが入滝の作法を誘導
  • 二尊院(山口・長門)──女性用の着替えテントを用意。女人守護の寺

「人に見られたくない」「ひとりで行きにくい」という不安は、施設側もよく分かっているんですよね。設備として解決してくれている場所を選べば、かなり気が楽になります。全国のスポットは滝行体験の探し方ガイドにまとめています。

服装は行衣とインナー

滝行の行衣は、ほとんどの場所で貸し出しがあります。ただし濡れると透けるので、下に着るものは自前になります。これだけ準備すれば、あとは手ぶらに近い形で参加できる場所が多いです。

白衣が白いのにも意味があって、修験道では「一度死んで、新しい自分に生まれかわる」ための装束とされています。産着も死装束も白。だから白なんですね。着るときにそれを知っているかどうかで、気持ちが変わってくると思います。

服装まわりの具体的な準備や、生理と重なったときの相談の仕方などは女性の滝行服装ガイドにまとめています。

👗 女性の装備を揃える

行衣の下に着たい|行衣の下に着る──透け防止インナー

行衣は貸してもらえますが、下に着るものは自前です。速乾素材のスポーツブラ+スパッツなら、家から着ていってそのまま滝に入れます。

まとめ

  • 「修験道は女人禁制」は半分だけ正しい。通年で続いているのは大峰山(山上ヶ岳)の結界内だけ
  • 明治5年の太政官布告以降、多くの霊山は女性に開かれた
  • 禁制の由来には、役行者の母の物語、仏教思想からの説明、危険性による説明など複数がある
  • 犬鳴山=女人大峯、千光寺=女人山上。女性のための行場は昔から用意されてきた(稲村ヶ岳も女人大峯と呼ばれる)
  • 洞川の龍泉寺は1946年の大火からの復興を機に、1960年に女性へ開放。ただし結界内の大峯山寺は今も禁制
  • 出羽三山「神子修行」は1993年に始まった女性だけの山伏修行。近年は70〜90人が参加
  • 葛城修験は女性も全ルート参加可。聖護院の修験講習会は一般参加可
  • 滝行に限って言えば、女性を受け入れている場所がほとんど

調べる前のわたしは、「修験道は女人禁制」の一文で止まっていました。でも実際には、拒んだ歴史のとなりに、受け入れてきた歴史がずっとありました。女人大峯も、女人山上も、神子修行も、誰かが用意してくれたものです。

そう思うと、滝に入るという行為の意味も少し変わってきます。滝行とは?完全ガイド禊(みそぎ)とはもあわせて読んでいただけたら、背景がもう少し立体的になるはずです。

よくある質問

Q. 女性は修験道の修行に参加できませんか?
A. できます。現在も通年で女人禁制が続いているのは大峰山(山上ヶ岳)の結界内で、それ以外の多くの霊山は明治以降に女性へ開かれています。出羽三山には女性だけの山伏修行「神子修行」がありますし、葛城修験は女性も全ルート参加できます。

Q. 女性でも山伏になれますか?
A. なれます。現在は女性の山伏が各地にいます。京都の聖護院に所属して普段は会社勤めをしながら山に入っている方や、紀伊山地で山岳修行を実践している熊野修験の女性山伏もいます。

Q. 女性が滝行できる場所はどこですか?
A. ほとんどの滝行スポットが女性を受け入れています。なかでも更衣室やドライヤーが完備されている場所、少人数制の場所、女性ガイドが誘導してくれる場所などは、はじめてでも参加しやすいと思います。全国のスポットは滝行体験の探し方ガイドにまとめています。

Q. なぜ大峰山だけ女人禁制が続いているのですか?
A. 信仰の伝統として守られてきたためです。昭和11年の解禁の動きがあり、戦後にはGHQによる解除指令もあったとされますが、いずれも実現しませんでした。禁制の維持には寺院だけでなく、地元コミュニティや信徒・行者・山講が関わっており、単一の主体が決めているわけではありません。この是非については現在も議論が続いています。

Q. 「女人大峯」「女人山上」とは何ですか?
A. 女人禁制の大峯山に対して、女性が修行できる山を指す呼び名です。大阪の犬鳴山七宝瀧寺が「女人大峯」、奈良の元山上千光寺が「女人山上」と呼ばれてきました。どちらも現在も行場が残っていて、滝行体験ができます。なお大峰山系の稲村ヶ岳も「女人大峯」と呼ばれます。

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この記事を書いた人

ITワーカーのリサーチキュレーター。日本の伝統的な修行文化に興味があり、写経や坐禅を実践しています。滝行も「興味はあるけど一歩踏み出せない」気持ちに寄り添いながら、滝行文化について丁寧に調べて、誠実にお伝えしています。

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